金田留広の死因は?実績がヤバすぎる!

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突然ですがロッテが金田正一元監督の弟でロッテの球団OBであった金田留広さんが亡くなっていたことを発表しました。

 

今回は金田留広の死因が何だったのか、そして金田留広の偉大なる実績について調べていきます。

 

2.金田留広が死去!死因は?

 

今月の2日に金田留広が亡くなっていたことをロッテの元監督である金田正一氏が発表しました。

 

死因は分からないということですがこういった有名人の方が突然亡くなるケースを調べてみました。

 

おそらく

・脳卒中

・脳梗塞

・心筋梗塞

・くも膜下出血

・ガン

 

の可能性が非常に高いですね。

 

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金田留広のプロフィール

スポニチから引用

 

では金田留広のプロフィールについて調べていきます。

 

名前:金田留広

生年月日:1946年11月17日

出身地:愛知県名古屋市

身長:180㎝

体重:80㎏

 

となっています。

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金田留広の経歴

 

金田留広は高校卒業後にプロには進まずに大学へ進学します。

 

そこでピッチャーとして野球部に入部し、1年生から活躍し7勝4敗の成績を上げます。

 

ですが2年生に上がる前に退学して社会人野球である日通浦和に入社しました。

 

ここでもピッチャーとして活躍し、金田留広は1969年のドラフト会議で東映フライヤーズに4位で指名されました。

 

金田留広の成績は?

 

金田留広の成績は1969年から大活躍をし、59試合に登板して19回先発のマウンドを任されます。

 

そして6回を完投し、18勝13敗、防御率3.63という成績を残しました。

 

そして1971年には15勝を挙げて1972年医は念願のタイトルとなる最多勝を獲得し、最終成績は51試合に登板して先発は33試合し、4完封、3無四球完投で18完投を成し遂げて20勝12敗で防御率3.24という素晴らしい成績を残しました。

 

最終成績が化け物ですよね。

 

そして球界を代表できるピッチャーとして成長し、1974年をピークに成績は下降線をたどっていき、1982年んに静かにユニホームを脱ぎました。

 

金田一族の素晴らしい成績

 

金田一族が実はピッチャーとして素晴らしい実績を成し遂げています。

 

金田正一:50年~69年(400勝)

金田留広:69年~82年(128勝)

金石昭人:79年~98年(72勝)

 

となっています。

 

1950年~1990年まで途切れずにずっと一族で球界を支えて投げ続けてきました。

 

兄弟3人合わせて通算勝利数が600勝は驚きです。

 

まさに球界を支えてきたレジェンドですよね。

 

そんな金田留広さんが85歳の若さで亡くなってしまいました。

 

ではネットの声を見ていきましょう。

 

ネットの声

 

古葉監督の時代に確か投げて打ってホームランという新聞の見出しがあったように記憶しています。カープでも頑張って下さりありがとうございました。ご冥福をお祈りします。

 

兄弟で500勝は確かギネスだったと思う!でも個人でも128勝て凄い事ですよね。息子さんも甲子園にでたりで活躍しましたもんね!まさに野球一家ですね。ご冥福をお祈り致します。合掌

 

 

ピッチャーは兄貴のコネでは勝てないからね

騒がれた分プレッシャーもあっただろう。

 

 

本当に業界のレジェンド一族ですよね。

 

まとめ

 

いかがでしたでしょうか?

 

金田留広さんは71年にロッテを日本一に貢献し、2度の最多投手を獲得している本当に素晴らしい投手でした。

 

レベルが高い日本球界が今あるのは金田留広さん含め、ずっと投げ続けてきた金田一族のおかげかもしれませんね。

 

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

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